人間の尊厳

秋ナスと空


 今年も玉葱の季節がやってきた。玉葱の季節とは、玉葱を食べる季節ではない。農家側として、種を播き、苗を育てる季節のことだ。玉葱の苗だけは、きっちりと育てないといけない。キャベツなどの苗と比べて、ちょっとばかり神経の使い方が違うのだ。そしてまた、台風がやってきても苗だけは大丈夫であるように、工夫をしなければいけない。「苗がダメになったら市販の苗を買えばいいや」という感覚は0%なのである。  

 年によって、極早生の玉葱の種を播かない時がある。去年は、種自体が不作で手に入らなかったから、種を播かなかった。極早生の玉葱は、春3月から4月中旬までの間の収穫を狙うもので、早生玉葱の収穫までの命だ。貯蔵性のあるものではないので、たくさんの種は播かない。うちの「とーと畑」では、70メートルの畝ひとつあれば十分の量だ。12㎝間隔で4条植え、苗にして2300本程度があればいい。288の穴のあいたトレイが8枚と補植ようにプラス1枚で、9枚のトレイに種を播く計算になる。

 前日にトレイを用意し、あらかじめ自家製培土を詰めておいた。夜になって、さあ種を播こうとシャワーを浴びて納屋に行くと、珍しく三女が納屋で勉強をしている。六年生になって勉強に目覚めたらしく、漢字テストではクラスで一番だと、通信簿の成績に見合わない結果を残しているらしい。自主勉強をしていくと、クラスの頭のいい人たちといろいろ話ができておもしろい、と言う。まあ、なんでもいい、好きにやれ、とあまり僕は関わっていない。

 仕分け用の机に三女を追いやって、種播きの準備をし、種を播きはじめた。すると三女が近寄ってくる。「わぁ、面白そう!」「なんで?おまえ、保育園の頃に、こんなものさんざん見ていたじゃないか」と僕は答えた。種播きは、吸引播種機という機械を使う。板に穴があいていて、密閉状態の板の裏から掃除機のように空気を吸い込んで、板の穴に種を吸いつける、という仕組みだ。そして、トレイの上で吸い込みを止めると、トレイに種が落ちていく。これは、キャベツなどの丸い種や、種を天然成分でコートしたコート種子用の機械だ。

 玉葱の種は、機械植えの場合には、通常コート種子をトレイに播く。ところが、極早生の玉葱の種は、コート種子が手に入らない。裸の玉葱の種子はごつごつしていて、機械が吸いこんでも、一か所にひとつずつ種が行きわたる結果とならない。そこで、人間の指先を使って、一粒ずつの種が板に吸いつくようにしなければいけない。この作業が面倒なのだが、その作業そのものを三女は面白がって手伝いだした。指先が器用なので、細かい仕事が面白くて仕方がないらしい。飽きることなく最後まで手伝ってくれて、おまけにバーミキュライトで覆土(土をかぶせる)する作業までやらせてくれときた。おかげで、仕事が早く片付いた。

 子供が、手伝いをするというよりも、自分の興味で親の仕事をやってみたいと思うこと、これを見ている感覚は通常のものと違う。何と表現していいのかわからないが、子供に一目を置くような、親と子ではあるが人間の尊厳を感じるような、そんな瞬間である。いずれ三女は自分の好きな道を見つけることができるだろう、と思わせた出来事だ。

2012年9月13日 寺田潤史

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック